JAXA(後)

先日(id:ameni:20090424#p1)のつづき。
航空・宇宙の開発機関が科学技術庁総理府)に設置されて、統一的な運営を目指そうとしましたが、依然として東大の研究所は存続しました。

第61回国会 衆議院科学技術振興対策特別委員会第6号(昭和44年4月2日)
○吉田(之)委員 次に、現状で東大宇宙研究所と科学技術庁の宇宙開発とを比較した場合に、実績から見て、まことに残念ですけれども、東大のほうがはるかに現時点では上回っているのではないか、少なくとも一歩前進しているのではないかというふうな気がいたします。今後ビッグサイエンスに取り組んでいく場合に、科学技術庁の力と東大というその学問の力と、現に研究されている成果、こういうものを統合して効果的に行なっていかなければならないと思うのです。したがって、そういう意味で、大学の宇宙研と、それからこの事業団との関連というふうなものは、今後具体的にどういうふうに進めていくつもりでおられますか。
○石川(晃)政府委員 お答えいたします。
 ただいま先生おっしゃいましたように、確かに東京大学のほうは十年以上の歴史を持っておりまして、いろいろな面において実質的には進んでいると思います。しかし、科学技術庁のほうにおきましても、数年来技術の開発を進めまして、ようやく液体ロケットまで開発にこぎつけたわけでございまして、私たちのほうの研究陣も相当この点に力を入れてやっておりますので、早晩相当なロケット開発ができるものと考えております。
 先生御指摘の東大の宇宙研の問題でございますが、現在私たちのほうで了解しております点は、東京大学が現在開発しておりますミューロケットは、それが信頼できる時点になりますと、それで開発をやめるというふうになっているわけでございます。その後におきましては、これを信頼できる時点になりました場合には、この事業団でその後の開発を行なうということになっております。
 ただ、東京大学で現在開発しております科学衛星につきましては、引き続き東京大学で、学術研究の目的のために開発を進める、こういうふうになっているわけでございます。

 
内閣が航空研究機関を管轄するといえば、かつての中央航空研究所(三鷹)がありました。これの経緯は複雑で、もともと陸軍の機関であったものが逓信省に移管され、さらに戦時中に内閣の技術院、そして終戦後に運輸省(航空局)に移管されたのちに、GHQによる航空開発停止の意向を受けて廃止されました*1。戦前の航空行政は、製造は商工省(軍需省)、管理は逓信省運輸通信省航空局)、そして内閣があり、もちろん軍事航空は軍の所管でした。これらを引き継いで戦後も、各省庁が「セクト的に」航空開発を行っていたという現状がありました。
そうなると、人工衛星開発・運営についても、総務・防衛・文科それぞれが権益を要求するというのが「日本の本来の姿」であるわけで、JAXAの移管はいわば必然だったといえます。さらには、宇宙開発・研究のうち遠距離のものを対象とする研究(たとえば月面調査)についても文科省の管轄から離れることになり、たとえば月周回衛星かぐやとの通信を行う臼田の観測所(もとは宇宙科学研究所の付属)も内閣府管轄となるわけで、そうなると昭和17年の中央航空研究所移管(東大の航空研究所は移管されませんでした)をも超える内閣管轄となります。おそらくはNASAのような機関をめざしているのかもしれませんが、軍が主要な前身であるNASAと、複雑な経緯を持つJAXAとでは、おそらく事情は変わるでしょう。

*1:中央航空研究所は、違法兵器開発の疑惑がもたれたくらいに、軍の関与が大きかった機関のようでした。