2009年のミルクティー(2)

法律の参考書について。
良い参考書は何かと言われれば、まずは、わかりやすいものと答えることが多いでしょう。では、わかりやすい参考書とはどのようなものでしょうか。もちろん文章が読みやすくわかりやすいであるとか、適切な例が豊富に用いられているとか、見やすい図表が要所に入っているとか、そういうものは前提としてクリアしたあとの、先の段階を考えてみます。
法律の参考書ですと、いわゆる「腑に落とす」タイプが多いですね。条文や規定の理由などを、納得しやすく説明するタイプです。話し言葉を用いたりして、制度の趣旨をかみくだいて「腑に落とす」ようなものは、わかりやすいものとして挙げられます。ただそうなると、どうしても「正確さに欠ける」とか「情報量が少ない」という欠点を抱えることにもなります。参考書のうち、資料集のような利用方法をされるものについては、特にこれらの欠点は重要になります。
そして次の問題は、「知識として定着させたい」、要するに「覚えたい」場合の参考書です。こうなると、納得するためのものというよりは、覚えるためのものですね。しかしそうなると、知識の羅列になってしまって初心者には敷居が高くなります。この種類の参考書では、よくできているものは、内容がうまく「構造化」されているものが多いですね。ただ、このタイプに属する参考書は試験対策のたぐいのものが多くなるので、内容が偏ったり、小手先の技術が多くなってしまうことも欠点です。
ここで、大学入試の日本史(あるいは高校入試の歴史分野)を例に挙げてみます。教科書のほかに用語集・資料集があり、さらには要点を要約したノート形式のもの、穴埋め式の問題集、「実況中継」タイプの話し言葉の参考書があります。ここで、用語集(さらには用語問題集)に対して「わかりにくい」と批判してもしょうがないし、実況中継に対して「網羅的ではない」と批判することも建設的ではないです。参考書にはそれぞれ用途があり、それに適した使い方がある、というところです。どうやっても使えないようなものもありますが。
でもって法律に話を戻すと、最近は「腑に落とす」タイプが目立つんですよ。なんだか、どれも腑に落とそうとしている、というか。対象内容がそういう性質だから仕方がないのかもしれませんが、みんなが「実況中継」をありがたがって、用語集に対して「わかりにくい」と言ったり図録に対して「多すぎる」と言ったりしているような感じを受けるんです。なんだか、六法も持たずに実定法科目の授業を受ける学生みたいです。しかも、「腑に落とす」タイプですと、単純に図式化できる程度の知識しか身に付かないおそれも大きいです。いわば、「新書」レベルの知識しか身に付かないのです。ある程度の大人が時間と労力(とコスト)を使って勉強するのに、新書程度の知識しか身に付かないのであれば、端的に新書を読んでいた方がましでしょう。また、「腑に落とす」タイプの参考書は、そういう記述に適さない性質の内容について記述しにくい、という欠点もあります。「わかりやすい参考書」をめざす以上は、要件の羅列なんかはしにくいですから、どうしてもそういう記述は薄くなってしまいます。
とはいっても、語りかけるタイプのもののなかには、本当にわかりやすいものが多いというのも事実です。民法や刑法などの手あかがついたジャンルでも、キッチリとわかりやすい(そして主張をしっかりと入れている)記述に出会うこともあります。
あと、法律系の試験は正誤短答式の試験が多いので、まぎらわしい概念の区別に重点を置きすぎるのも気になります。ワープロソフトの普及で漢字が書けなくなる、みたいな現象でしょうか。