営業キロの話・再度JR西日本

ではこんどは、JR西のデルタ線をみてみます。
 1東海道線(京都〜梅小路丹波口〜京都)
 2北方貨物線宮原側(吹田〜宮原(信)南〜宮原(客)〜吹田)
 3北方貨物線歌島側(尼崎〜塚本〜宮原(客)〜尼崎)
 4関西線(平野〜久宝寺〜JR長瀬(蛇草(信))〜平野)
 
 1は、梅小路丹波口が「キロ設定のない短絡線」で「京都駅構内扱い」です。以前は、「1種なき2種」でした。
 2は、宮原(大阪方面)〜宮原(客)が「キロ設定のない短絡線」で「通過する営業列車なし」、
 3は、塚本(大阪方面)〜宮原(客)が「キロ設定のない短絡線」で「通過する営業列車なし」、
 4は、「全て独立線」タイプです。以前は平野〜蛇草(信)が「1種なき2種」でした。
 
これらの開通の経緯をみると、1から4まで全て、デルタ各区間の開通時期が別々になっています。つまり、最初からデルタだったわけではなく、またデルタとして連結されたわけでもないのであり、いうならば、ふたまた分岐ができたあとで3つめの辺が開通してデルタが成立したということになります。ただし、2〜4では、計画・工事段階ではデルタ化するものとして、ふたまた分岐ができています。では、デルタの辺のうち最後に開通した路線をみてみます。
 1 梅小路丹波口 :貨物線 開通時に告示
 2 宮原(大阪方面)〜宮原(客) :貨物線 告示なし
 3 塚本(大阪方面)〜宮原(客) :貨物線 告示なし
 4 蛇草(信)〜竜華 : 貨物線 開通時に告示
 
2と3については、旅客・貨物ともに営業列車を走行させる意図はなかったようで、もっぱら回送車両用の線路のようです。そのわりにはどちらも複線デルタという立派な設備なのですが。
1と4は、JR発足時点には1種なき2種となりました。JR東で1種なき2種となった路線は、「貨物線として開通して告示されたが線路名称告示には非掲載」「国鉄再建法施行令にて掲載」「JR発足時点で定期旅客列車が走行しない」という経過をたどった路線でした。JR貨物は施行令記載の路線について国鉄当時のキロ程をそのまま使用(でないとJR移行と同時の値上げとなってしまう)する一方、JR旅客は「短絡線にはキロ程を設定せず構内側線扱い」という基準を立てたので、1種なき2種という事態が起きたのでした。
1と4は、いずれもJR東でのものと同じ経過をたどっています。ですからその点では一貫しているといえます。ところが、よくみると4では、少し話が違っています。旅客の1種を設定されなかった区間が、「最後に開通した区間」ではないのです。関西本線に接続する形で先に開通して告示されたのが片町線の放出〜平野ルート、そして後になって放出〜八尾ルートが開通し、この両者は対等な関係にあるはずでした。それがJRになって、旅客営業キロを設定された区間は八尾ルートだけでした。両者は、旅客列車が走行しないという点では共通であり、ただ吹田方面からの貨物列車の行き先が、平野ルートでは百済貨物駅、八尾ルートでは竜華信号場であったという差異があるのみです。JR発足時点ではすでに竜華方面への路線にはほとんど列車が走行していませんでした。ただ、大阪外環状線計画があるためにこの区間が廃止になることもなく、休止線状態となっていました。というわけでこの区間の旅客1種キロ程を維持する一方で、平野ルートのほうが逆に短絡線扱いとなった、ということのようです。
その後、1は貨物2種が廃止となったために、路線名が事業基本計画に中途半端に記載されている短絡線という扱いになりました*1。ただ、JR西日本がこの区間を廃止してはいないので、単なる短絡線というわけでもないのです。
そして4は、先日(id:ameni:20080404)書いたとおり、なぜか2008年になって1種のキロ程が設定されました。おおさか東線が3セクであるために、この区間の路線名やキロについておおざっぱな決め方ができなくなったというところでしょうか。3セクが「片町線の枝線を保有して営業」というわけにもいかず、当該区間を枝線から通常線に昇格させたら*2、平野ルートが宙に浮いた形になってしまって、ここを平野駅構内とするわけにもいかず(もしそうするとおおさか東線平野駅を通過することになってしまう)また久宝寺駅構内ともすることができず(もしそうするとおおさか東線久宝寺を2回通過してしまう)、やむなく独立線路の扱いを受けることになった、というところでしょう。となると、正覚寺信号場の性質は、信号場というよりはむしろ責任分界点に近いと言えそうです。
というわけで、JR西のデルタの場合、JR東と同様の基準で扱おうとしたところ、それぞれの事後の事情によって、扱いに変化が起きたということになりそうです。
 
ところで、現在JR西に残っている唯一の1種なき2種は、梅田貨物駅ルート(吹田〜梅田〜福島)です。ここはデルタ線ではなく増設線です。当初の扱いは「梅田貨物駅のマイル程は大阪駅のマイル程による」というものであり、営業キロは独立していませんでした。もともと大阪駅の北部に貨物ホームを設置する計画だったものが(当時の計画図をみると、運河みたいなものまでひいていてかなり壮大な計画でした)、貨物駅を別駅とされたものになっていました。そのあと昭和36年には営業キロが変更され、その際には区間も変更されていますから、このときに正式に支線扱いされたことになります。でもって、JR貨物はいまでもこの扱いによっていますが、JR西日本のほうでは当初の扱いに戻しています。渡り線にわざわざキロ程を独立させる必要はない、という西日本の方針もわからなくはないのですが、1種なき2種は、国鉄(広義)が路線を告示して政令国鉄再建法施行令)でも掲載された路線を旅客会社が否認する(独立させない)から起きたのであり、鉄道事業法での免許区分(1〜3種)は同一の路線について会社ごとに別々の扱いをすることを許すという趣旨ではないわけであるのであって、それならば国鉄の方針を継承した貨物会社のほうに正統性があるといえるでしょう。

*1:wikipedia東海道本線の項ではいまだにこの区間を「旅客キロ設定なし」と記述していますが、しかしこの区間は、現在は貨物キロ設定も廃止されているので、ただの構内短絡線扱いです。

*2:形式上は枝線を廃止して新線を開通。