外浜貨物線記事

いままでの記事(id:ameni:20071014#1192333890)の補足です。
 
当時の地図を見てみますと、大正時代にはすでにこのあたりに線路があった様子が確認できます。大正11年・15年の地図で、路面電車と並行するような形で旧門司(めかりパーキングエリア南側付近の地名)までの路線が敷かれています。
でもって、大正15年に門司築港が貨物線を敷設する免許を申請した時点で、鉄道省工兵課が陸軍参謀本部に通牒を提出しているのですが、そこには以下の記述があります。

門司築港鉄道工事施行ノ件(壹第1118号)【一部】
両端地: 自 門司市大字門司字旧門司 至 門司市大字門司字大久保
停車場名: 旧門司(既設鉄道省貨物駅) 大久保(貨物駅)
免許状下付及運転開始年月日: 免許状下付大正9年4月28日
摘要: 備考 旧門司鉄道省ノ既設停車場ナリ
 鉄道省ニ運転管理ヲ移託スルヲ以テ車両ヲ有セス
 本区間ハ貨物専用線ナリ

この区間が陸軍用地を通過するうえに沿線に要塞があるため、鉄道省が陸軍に通牒を提出しているわけなのですが、これによるとやはり門司から旧門司までは既に路線が敷設されていたようです。
門司港〜外浜間が開通したとされるのは昭和5年なのですが、この当時は門司港の埋立工事が継続しており、そのために引込線や貨物線がいくつか敷かれていたようです。ウィキペディア・外浜駅の記述では、昭和4年「外浜駅〜門築大久保駅間(1.5km)を開業」とありますが、外浜付近は鉄道省の路線です。免許の内容をみてみると、田野浦方面を経由して半島を一周するような形で日豊本線に接続させるように申請しているようで、施設は私鉄が保有して運転は省鉄が管理する形態を予定していたようです。
 
次に、ウィキペディア・鹿児島本線

開業時は現在の門司港〜小森江間にかつてあった葛葉駅(貨物駅)が起点。

の記述について検討してみます。この区間の起点はむしろ門司港(開業当時の駅名は門司)だと思うからです。
路線の正式な名称・区間鉄道省国鉄の告示・公示によるのですが、この区間の開業の時点では告示・公示は出ていません。
昭和5年度の鉄道省年報をみると、営業開始線路の項目で以下の記述があります(231ページ)。

局名:門司鉄道局
線名:鹿児島本線
区間:×門司 外浜間   .880
   ×大里 小森江間 1.490
開業年月日: 同 四月一日
【「門司」は現在の門司港駅、「大里」は現在の門司駅、「×」は貨物専用線、数字はキロ程、「同」は昭和5年を表す】

この記事をみると、やはり門司が起点のようです。
また、葛葉駅廃止の国鉄公示(昭和61年10月30日日本国有鉄道公示第141号・第142号)の時点でこの区間の起点が変更されていない点、さらには国鉄再建法施行令(昭和56年政令第25号)では葛葉駅が廃止になっていない時点で(ですからここでは門司埠頭貨物線の起点は葛葉となっています)「門司港から外浜まで」となっている点をあわせて考えると、この区間の起点は門司港だとするのが適切でしょう。