私事/本の整理

去年の夏に引っ越しして郊外っぽい場所に住んでいるのですが、そのときに荷造りした荷物がまだ片付いていませんでした。部屋に段ボール箱がいっぱい積み上がっていたのです。
 
ところで、先日、知人から「引っ越したのであればウェブでちゃんと書いてくれ。でないと近況がわからない」とか言われたのですが、私はいつのまに「自身のホームページに結婚の報告」をする芸能人みたいになったのでしょうか。引っ越しの報告をしなかった私も悪いのですが。
まあ近況を書いておきますと、今月は平日の昼間は仕事です。せっかく楽しくもぐっていたロースクールの授業(何年か前からもぐっていた授業がローの授業になってた)もお休みです。実はですね、どこぞで問題漏えい疑惑があったときにこっちの授業でその話が妙に盛り上がっていて、担当の先生が『別の大学のローの学生から「悲しくなった」という手紙をもらった』みたいな話をされていて、で、おかしいなと思って調べてみたら先生も試験関係者だったので驚いたのと同時に、休講や時間短縮に対してほんの少しブーブー言っていた私の無知を深く反省したものです。というわけで今度は出席者の態度にほんの少しブーブー言っていく決意です。
 
そう、それはともかく、部屋の片づけですよ。既に何が入っているのかすっかり忘れていた段ボール箱を一通り開けてみると、本がギッシリ入っていました。医療観察法の問題点みたいな日弁連資料とか、法哲学風の抜刷とか、本とは言えないようなものも含めると、けっこうな量です。
でもって、本が増えるとですね、関連の薄い本が増えてくるんですよ。林望(たしか)も書いていたことなのですが、専門外の本が増えるのです。
たとえば、死刑制度について本を5冊そろえるといえば、「死刑の問題点」「死刑の歴史」みたいに、死刑100%の本ばかり揃えられますよ。でも、これが500冊となると、さすがに死刑「だけ」を扱った本は500種類もありませんから(たぶん)、そこへ判例集や刑事政策の教科書、古稀論文集の類も入ってきます。こうなると、死刑20%くらいの本ですか。一冊のうち死刑を扱った部分が2割程度、という感じの本たちです。それがさらに5000冊となると、いよいよ死刑0.1%の本を買うことになります。そうすると、死刑とは関係なさそうな題名の本が棚にズラっと並ぶことになります。この状態がけっこう悩ましくて、死刑制度専門家としては忸怩たる思いがするのです。オレは死刑の研究に身を捧げたのではなかったのか、なのになぜ元判事随想とか法哲学の書籍が並んでいるのだ、って。
まあそれがプロフェッショナルとしては仕方がないところでして、本棚のテーマの純粋性を誇っているうちはまだまだ二流なんでしょう。それでも、どんどん専門外の本が棚を侵食するサマは、精神衛生上あまりよくないんです。
 
もともと私はこういう純粋性でアイデンティティを保っていた部分があって、たとえばアイドルは高井麻巳子にしか興味がなかったんですよ。でもって高井麻巳子の本を一冊だけといわれれば彼女の写真集でいいのですが、彼女が載っているものをできるだけ多く集めるんだといえば、おニャン子の写真集とかアイドル情報誌とか、そういう純粋性の低いもの(麻巳子20%くらい)も揃えないといけないわけで、そうするといつのまにかゆうゆの方がページ数が多くなってしまっていたりするわけで、これが精神衛生上よくないんです。国生とか工藤とかが大きく写っている隅でチラっと高井麻巳子が写っているTV番組の録画とかを保存していると、自分は誰のファンなんだ?と自問自答してしまうんです。