越中島貨物線
先日(id:ameni:20071011)のつづきです。
では小名木川以南の路線がいつ開通したのかといえば、これがけっこう難しいです。
東京港港湾局(防災事務所)のサイトでは、以下のような記述があります。
明治期から昭和初期(昭和元年〜終戦)までの埋立て
昭和13年(1938)に着手した越中島駅敷地造成事業は、小名木川駅から越中島駅に至る線路敷地と越中島駅構内敷地を造成したところで、【略】戦争の影響により昭和20年工事を中止せざるを得なかった。
昭和20年の時点では、敷地を確保して着工していたのですが路線使用には至っていない、とのことです。ところが、この工事の詳細がよくわかりません。現在、資料をまとめている途中なのですが*1、どうやら東京市と鉄道省の共同の計画であり、しかも昭和20年の時点では敷地は鉄道省が保有していたようです。豊洲の石炭ふ頭で東京都専用線が開通したのが昭和28年ですから、終戦後に、路線が東京都に移管されたのでしょうか。
これらをまとめると、次のようになります。「越中島」は貨物駅完成までは地名を指します。
昭和13/計画 小名木川―(東京市)―越中島
昭和20/戦中 小名木川―(鉄道省)―越中島 【線路完成】
昭和28/営業 小名木川―(東京都)―越中島―(東京都)―豊洲方面
昭和33/営業 小名木川―(国 鉄)―越中島―(東京都)―豊洲方面
さて、この路線の跡地にある塩浜2丁目1番の設備を江東区文化財に登録できないかという意見に対して、区が
と回答しています(http://www.city.koto.lg.jp/php/faq_detail.php?faqid=12)。ただ、「戦前に着工されて中断した事業」であるならば、近代化遺産と言えなくもないので、区が保存してもいいような気もします*2。