阪和貨物線

先日(id:ameni:20070814)に関連して。
ウィキペディア関西本線http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E8%A5%BF%E6%9C%AC%E7%B7%9A)によると、阪和貨物線(阪和連絡線)の開業は、1952年(昭和27年)9月1日ということになっています。これは確かにそのとおりではあるのですが*1しかし、線路自体は実はそれ以前から敷かれていたのです。
「空中写真閲覧システム(試験公開)」の米軍撮影昭和23年8月31日大阪東南部(http://mapbrowse.gsi.go.jp/cgi-bin/airphoto/photo.cgi?index=513574&group=USA10kKK&course=M84-1&num=141&size=normal)をみると、確かに竜華から南に線が伸びています。しかも、現在とは異なり、この線は途中で分岐して八尾空港へと進んでいます。なるほどこの様子だと、この線が阪和線ではなく関西本線の支線であるというのは納得できます。
八尾空港はかつては大正飛行場という名称で、陸軍が所有し、その後GHQが接取したという経緯があります。ならば軍かGHQかがこの連絡線を敷かせたのでしょう。
 
というわけで調べてみると、陸軍省交通課陸支密受第七四〇七号「時局ノ為緊急整備ヲ要スル軍用引込線敷設ニ関スル件」(昭和16年7月)に、「緊急施設ヲ要スルモノ」として挙げられていました*2。航空本部の要望により、同年9月の竣工希望となっています。そこでは、関西線の引込線とされており、名称は「航空廠大阪支廠」となっています。
航空本部の要望ではほかにも、甘木線の支線として「航空廠大刀洗支廠」や、桜島線の支線として「航空本廠大阪出張所桜島倉庫」などがあげられており、大正飛行場線と同じような引込線が建設されたのでしょう。
ところで、空中写真をみると、関西線から空港までの引込線にしては少々大回りな気がします。最短距離で結ぶならもっと東側から分岐すれば、短距離で結べますし、通過する集落も少なくてすむはずです。これはおそらく、当時から、城東貨物線との連絡を意識していたのでしょう。この引込線を、ゆくゆくは城東貨物線を南に延伸して阪和線と接続させる路線に発展させる意図があったものと思われます。そしてこの計画に従って、空中写真が撮影された昭和23年の段階では、大和川のあたりまで延びているというわけです。

*1:なお、そこでは、阪和貨物線の項に「竜華信号場〜杉本町間の支線は」とありますが、現在は竜華信号所はなく、八尾駅起点となります。同ページの年表の項にも記述されているとおり。しかし考えてみると、久宝寺駅がありながら八尾〜杉本町のキロ設定というのも妙な話ではあります。列車の系統によっては、運賃の過払い問題も起きるかもしれません(実際には久宝寺乗り換えなのに八尾乗り換え扱い)。

*2:国立公文書館アジア歴史資料センターデジタルアーカイブで参照できます。レファレンスコードはC04123376400。