南洋群島標準時

前回(id:ameni:20070525)のつづき。
南洋群島標準時に関しては、ネットでのほとんどの資料(http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%8D%97%E6%B4%8B%E7%BE%A4%E5%B3%B6%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82&lr=)が「終戦まで南洋群島には3つの標準時があった」としています。おそらく、どこかの書籍でそういう記述があった(でもってそれがコピペで広まった)のでしょうが、しかし昭和12年の段階で標準時は整理されています。
 
テキスト原文がネットにはないようなので(あるのかもしれませんが)、ここでアップしておきます。

南洋庁告示第38号(昭和12年
南洋群島標準時左ノ通定メ昭和十三年一月一日ヨリ之ヲ実施ス
昭和八年南洋庁告示第四十二号ハ昭和十三年一月一日ヨリ之ヲ廃止ス
 
昭和十二年十一月十六日
南洋庁長官
 
一 東経百三十五度ノ子午線ノ時ヲ以テパラオ、ヤツプ及サイパン各支庁管轄区域ノ標準時ト定メ之ヲ南洋群島西部標準時ト称ス
二 東経百五十度ノ子午線ヲ以テトラツク、ポナペ及ヤルート各支庁管轄区域ノ標準時ト定メ之ヲ南洋群島東部標準時ト称ス

よくみると、南洋群島西部のほうは、内地と同様の時刻になっています。つまり、この時点では(朝鮮半島・台湾も内地と同じ標準時を採用しているため)日本には、グリニッジ+9時間とグリニッジ+10時間という2種類の標準時が存在していることになります。
それ以前は、西部が東経135度、中部が東経150度、東部が165度と標準時が定められていましたが、当時の拓務次官の説明によると「経済及ビ交通関係ノ緊密化ニ因リ」不便が増してきたので標準時を2つにする、としています。