国道指定に関する各論

前回(id:ameni:20051008)のつづき。国道指定の基準についての若干の感想と疑問。
 
(1)甲州街道(大月〜甲府笹子峠
大正国道8号は当初、「東京市山梨県庁所在地」をほぼ甲州街道に沿って結びました。このときは笹子峠を経由していたのですが、昭和4年内務省告示第345号)に経由地が変更され、大月から富士吉田・御坂峠経由で甲府に向かうルートを取りました。ところが、終戦直後の地図をみてみると、(一貫してはいないのですが)笹子峠のほうを国道としているようです。逆に、御坂峠のほうが県道に指定されていたようなのです。
でもって、昭和27年指定の時点では再度、笹子峠が国道となりました。となると、昭和27年にこの区間が経路変更されたことになるはずなのですが、どうもすっきりしません。昭和4年の時点で御坂峠経由地域が国道通過にふさわしいと判断したのであれば、昭和27年でもこの区間を一級指定してもよかったと思います。
 
(2)中山道信濃追分〜下諏訪)和田峠
大正国道14号中山道をなぞっていますが、大半が他の国道との重複区間であり、14号単独区間信濃追分〜下諏訪間だけです。この区間にある和田峠は難所であり、しかもこの頃には中山道長距離走破する通行需要は多くなく、これを指定する必要性は薄かったのかもしれません。
一方、大正国道が「旧街道を国道に指定する」という方針であるならば、中山道をまるまる国道指定したことは、この方針に従った一貫性のあるものです。
そうなると、昭和27年の一級国道指定では、「重要都市の連結」を優先し、「旧街道を国道指定する」ことには拘泥しなかった、と考えられます。そうすると、昭和27年にはまず、中山道の指定よりも国鉄信越本線中央本線沿線区間の指定を優先して18号〜20号が指定され、大正国道14号のうち残る区間である信濃追分〜下諏訪は一級指定から外れたのでしょう。
 
(3)和歌山〜新宮〜松阪
以前(id:ameni:20051007)書き漏らした区間です。大正国道41号として追加指定されていた区間なのですが、昭和27年の時点では二級国道170号*1として指定され、その後さらに一級国道に昇格した区間です。
これについては、大正国道の時点で国道の要件に該当するかどうがか微妙でした(10/18付参照)。ですから昭和27年の二級指定は妥当だと思います。むしろ大正国道の時点でなぜわざわざここを指定したのかがよくわかりません。
 
(4)出雲街道(岡山〜米子)
大正国道19号によって指定されていた区間です。19号単独区間は岡山〜米子のみです。これはいわゆる陰陽連絡路の一つです。単純に東京から中国地方への連絡のみを考えるのであれば、山陽道山陰道のみを国道指定すればそれで足りるのですが、陰陽連絡として姫路〜鳥取間と岡山〜米子間が大正国道「東京市島根県庁所在地」として指定されました。このうち、姫路〜鳥取間は昭和27年の一級国道29号として国道指定されていますが、岡山〜米子間のほうは一級指定されていません。
しかしこの両区間でそれほどの差異があるかというと、これもよくわからないところです。

*1:現在の国道170号とは別の区間