国道ネタ(3)

前回(id:ameni:20050926)のつづき。
まずは前回の補足です。
明治9年太政官達第60号にあった「明治6年8月大蔵省より相達候道路の等級」とは、明治6年大蔵省達番外です。これは府県あてに公布され、新設修繕の届け出や、水害時の修復などにおける経費負担について定められました。

河港道路修築規則(明治6年8月2日大蔵省達番外)【第1則から第3則】
第1則 澱刀根信濃川の如き一河にして其利害数県に関する者を一等河とす横浜神戸長崎新潟函館港の如き全国の得失に係る者を一等港とす東海中山陸羽道の如き全国の大経脈を通ずる者を一等道路とす【略】
第2則 外管轄の利害に関せざる河港及び各部の経路を大経脈に接続する脇往還枝道の類を二等河港道路とす【略】
第3則 市街郡村の利害に関する河港及田地域灌漑の用悪水路村市の経路等を三等河港道路とす【略】
【カタカナはひらがなに直し、濁点を補いました。以下同様。】

一等道路については、工事費用の一部を住民が大蔵省に収め、また改良工事や災害修繕の計画書類を大蔵省に提出することになっていました。これが二等道路になると、工事費用を収める先は地方庁になり、また改良工事や災害修繕は地方官が行うことになっていました。そうなると、一等道路の性格は国道にやや近いものかも知れません。
また、明治18年内務省告示第6号にあった「本年1月太政官第1号を以て国道之儀布達」とは、明治18年1月6日太政官布達第1号です。

明治18年太政官布達第1号)
今般国道の等級を廃し其の幅員は道敷四間以上並木敷湿抜敷を合せて三間以上総て七間より狭小ならざるものとす
 但国道線路は内務卿より告示すべし
右布達候事

この布達に従って、内務省告示が公布されます。
 
その後、いくつかの改正があるのでこれを列挙してみます。
明治18年3月26日内務省告示第11号にて国道6号のルートが変更される
明治18年4月14日内務省告示第15号および明治18年4月18日内務省告示第16号にて駅名変更や駅追加がなされる
明治18年10月20日内務省告示第57号にて駅制度が廃止になり、表にある「駅名」は「地名」と改められる
明治18年10月22日内務省告示第57号にて国道8号のルートが変更される
鎮守府に達する道路を国道に編入の件(明治20年7月1日勅令第28号)にて

東京より鎮守府に達する道路及鎮守府と鎮台と拘連する道路は自今国道に編入

とされる
・上記の勅令に基づき、明治20年7月8日内務省告示第3号にて国道45号〜48号が追加指定される。

45号 東京より横須賀鎮守府に達する路線
   【日本橋〜横浜間は1号】
46号 東京より呉鎮守府に達する路線
   【日本橋〜海田間は4号】
47号 東京より佐世保鎮守府に達する路線
   【日本橋〜柄崎(唐崎)間は4号】
48号 佐世保鎮守府と熊本鎮守府を拘連する路線
   【佐世保〜佐賀間は47号・4号、山鹿〜熊本間は11号】

明治20年11月28日内務省告示第7号にて国道49号が追加指定される。

49号 東京より奈良県に達する路線
   【日本橋〜「大津京都間髭茶屋町」間は2号】

これをみると、国道48号は戦前の国道としては唯一、東京から出発しない路線です。これは私も初めて知りました。「戦前の国道はすべて東京起点である」とずっと思い込んでいました。
あと、先日紹介した国交省サイトの表では「一等 東京より各開港場に達するもの(1〜8号) 」とありますが、同サイト本文でふれられているとおり、国道に番号が振られたのは等級が廃止された後ですから、注意する必要があります。
 
さて、その後しばらくは、道路関係法制での目立った動きがなくなります。そして大正8年に、国道に関する初めての法律である道路法が制定されます。

道路法大正8年4月10日法律第58号)
第8条 道路を分ちて左の5種とす
 1 国道
 2 府県道
 3 郡道
 4 市道
 5 町村道
第9条 道路の等級は前条記載の順序に依る
第10条 国道の路線は左の路線に就き主務大臣之を認定す
 1 東京市より神宮、府県庁所在地、師団司令部所在地、鎮守府所在地又は枢要の開港に達する路線
 2 主として軍事の目的を有する路線

またこれに基づいて、道路法施行令が公布されました。

道路法施行令(大正8年11月4日勅令第460号)
第1条 国道の路線の認定又は其の変更若は廃止を為さむとするときは勅令の定むる道路会議に之を諮問すべし但し重要ならざる変更又は廃止に付ては此の限に在らず
第3条 国道の路線の認定又は其の変更若は廃止を為したるときは官報を以て之を公布すべし
第6条 前3条の告示には路線名並路線の起点終点及重要なる経過地を表示すべし
第7条 府県庁、師団司令部、鎮守府、郡市役所又は町村役場を国道、府県道又は郡道の路線の起点終点と為すときは市町村に於ける道路元標の位置に依るべし
第8条1項 東京市に於ける道路元標の位置は日本橋の中央とす
 2項 市町村に於ける道路元標の位置は前項に規定するものを除くの外府県知事之を定む
第9条1項 道路元標は各市町村に一箇を置く
 【2項以下略】

さらに、ここで国道の認定がされました。

大正9年4月1日内務省告示第28号【1号から3号まで】
国道の路線左の通認定す
 
1号 東京市より神宮に達する路線
2号 東京市より鹿児島県庁所在地に達する路線(甲)
 【東京市三重県三重郡日永村は1号、大阪、熊本経由】
3号 東京市より鹿児島県庁所在地に達する路線(乙)
 【東京市小倉市鳥町二丁目は2号、大分経由】

なんと、伊勢神宮に向かう路線が国道1号です。時代を感じさせますよね。
とはいうものの、国道法10条では「東京市より神宮、府県庁所在地、師団司令部所在地、鎮守府所在地又は枢要の開港に達する路線」ですから、この順番に路線が設定されているわけです。
つまり、神宮ゆきが1号、府県庁所在地ゆきが2〜26号、師団司令部所在地ゆきが27〜30号、鎮守府所在地ゆきが31〜35号、そして港ゆきが36〜38号となっているわけです。
そして制定方法も、多少は地方間輸送にも配慮したものになっています。例えば2号は、現在の国道1号、2号、3号をなぞったものになっており、そうなると大阪〜広島間などが「国道で」つながったことになるわけです。