国道ネタ(2)

前回(id:ameni:20050923)のつづき。
さて今回は、この国道指定の歴史的経緯について見ていきたいと思います。

http://www.mlit.go.jp/road/roadqa/012.html

Q■ 最初の国道が定められたのはいつで、何号まであったのですか?
A● 明治9年(1876年)に、道路を国道、県道、里道の三種類に分類し、これをさらに一等、二等、三等の等級に分け、ここに初めて、国道の名称が正式にきめられました。その後、国道の等級は廃止されましたが、明治18年(1885年)に国道を1号から44号の44路線と決定し、国道表として初めて一般に公表されました。興味深いことは、今の国道の起・終点とは異なり、すべての国道が東京の日本橋から始まっていることです。

http://www.mlit.go.jp/road/roadqa/001.html

Q■ 道路の上りと下り、起点と終点の定義を教えてください。
A● 国道の路線を指定するときには、それぞれ起点(国道の始まりの地点)、終点(国道の終わりの地点)が定められますが、起点に向かっていく方向を「上り」、その逆方向を「下り」と称しています。
 大正時代の国道は、「東京市より……府県庁所在地……に達する路線」とされていたため、全ての国道の起点は、東京(日本橋につくられた道路元標)になっていました。現在では、国道の起点と終点は、国道の路線を指定する際に、路線名(番号)や重要な経過地とともに決められています。

http://www.mlit.go.jp/road/roadqa/002.html

Q■ 国道の番号はどのような基準で決めるのですか?
A● 路線番号の付け方については、1号から58号までは昭和27年に一級国道につけられた路線名を基本として、東京を中心として国土の骨格を形作るように、101号以降は昭和28年に二級国道につけられた番号を基本として、北から南へ順次番号をつけていく方法を原則としています。

 
私好みの良いネタです。
国交省サイトでは、明治9年の分類が「国道」という名称の最初であるとしています。これは、明治9年6月8日の太政官達第60号に記載があります。

明治9年太政官達第60号)
明治6年8月大蔵省より相達候道路の等級を廃し更に別紙の通相定候条右分類等級各管内限詳細取調内務省へ可伺出此旨相達候事
(別紙)
国道
 一等 東京より各開港場に達するもの
 二等 東京より伊勢の宗廟及各府各鎮台に達するもの
 三等 東京より各県庁に達するもの及各府各鎮台を拘連するもの
【中略】
将来新設する所の道路は其土地の便宜により此道幅を保たしむべし
国道
 一等 道幅七間
 二等 同 六間
 三等 同 五間
【カタカナはひらがなに直し、濁点を補いました。以下同様。】

これは、太政官が府県に対して「国道とする道路を内務省に示せ」とした達なのですが、東京〜国内港が一等で、伊勢神宮ゆきが二等という区分は、現在とはかなり趣を異にしています。
とはいうものの、現在でも130号(東京港)や174号(神戸港)などはかなり道幅が広く、「港の国道は広い」というのは明治初期からの国策だったのかもしれません。
でもって、前回ふれた国道23号(伊勢神宮)は二等国道に該当するんですね。これも明治初期からの一貫した方針なのかもしれません。たぶん。あと、「各府各鎮台を拘連するもの」については例外的に、東京を始発としないという点に注意です。全体的に、当時の状況を反映して富国強兵の色が非常に濃い規定です。
 
さて、これを受けて同年6月15日付で内務省が達を出します。

図面調整概則(明治9年内務省達第73号)
今般第60号御達之通道路等級被相達候に付各管内限別紙調整概則及雛型に照準し来る12月25日限図面調整当省へ差出此旨相達候事
(別紙)
図面調整概則【第1則本文、第3則、第13則のみ】
第1則 此雛型は国道県道の等級に従ひ其路線の分類を明示せんが為に仮に府県鎮台其他此分類等に関する者を摸書する者にて要するに道路の分類区画を明瞭ならしむるに在り故に各管内に於ては其路線の断続歩合に従ひ之が分類等級を鮮明表記して遺漏無きを要す
第3則 東京より路線を起す者の外各鎮台を拘連する者は固より国道第三等部類に属すと雖も鎮台を設置せざる(甲)県より(乙)県なる鎮台に達するに乙県に於て県庁と鎮台と多少の間隔ありて従て其路線を殊にする者は其鎮台に達する線路の部分も斉しく県道第一等の部類たるべし
第13則 伊勢宗廟の線路は僅に一二管内に止まるを以て別に雛型図中には掲示せずと雖も国道第二等の符号を用ふ可し

府県に対して内務省が「国道とする道路を図面で示して提出せよ」とした達です。国道二等は二本線で描き、一等はそのうちの一本を太くして示せ、というように指示が出ています。そのなかで第3則では、県庁と鎮台との間隔がそれほど離れていない場合には県道第一等「各県を接続し及鎮台より各分営に達するもの」とせよ、としています。
その後、なぜかこの道路図面調整に際して「人口や物産品や工場製造物の品類なども調べて記入せよ」としたり(明治10年内務省達丙第43号)しまして、結局国道路線が指定されたのは明治18年になります。

明治18年2月24日内務省告示第6号)
本年1月太政官第1号を以て国道之儀布達相成候に付該線路別表之通相定候条此旨告示候事
(別表)
国道表
  凡例
一 路線中前号と相通用すべき者(例へば第2号 東京より大坂港に達する路線 中其神奈川駅迄は第1号 東京より横浜港に達する路線 と同線なる如き類)は之を略し其の番号を記す
一 路線甲より路線乙に達する中間に位する府県庁及鎮台等(例へば第2号 東京より大坂港に達する路線 中静岡駅は静岡県庁、大坂は大坂府庁及大坂鎮台、所在地の如き者)は其包括したる路線に譲り別に之を表出せず
各府各鎮台を拘連するものも之に準ず
 
国道【1〜5号、9〜12号のみ】
1号 東京より横浜に達する路線
2号 同   大坂港に達する路線
   【日本橋〜神奈川間は1号】
3号 同   神戸港に達する路線
   【日本橋〜京都間は2号】
4号 同   長崎港に達する路線
   【日本橋〜神戸間は2号・3号】
5号 同   新潟港に達する路線
9号 同   伊勢宗廟に達する路線
   【日本橋〜「四日市石薬師間追分」間は2号】
10号 同   名古屋鎮台に達する路線
   【日本橋〜熱田間は2号】
11号 同   熊本鎮台に達する路線
   【日本橋〜山家間は4号】
12号 同   群馬県に達する路線
   【日本橋〜「熊谷深谷間東方村」間は5号】

こうみるといくつかの点がわかります。
まず、一つ目の凡例では、「番号が重複する部分は若い方の番号を記す」としています。これは現在の道路表記にも通用している規則です。しかし、国道4号(東京〜長崎)の東京〜神奈川間は国道1号と重複しているので、そのように表記すべきところ、表では「2号3号」となっています。そもそもこのような表記方法ですと東京付近の道路は非常に多くの道路番号が重複することになるので、直前番号の道路のみを記すほうが、効率がよいはずです。つまり、 
 東京――A――B――C――D
となっていて、東京〜A間が1号、東京〜B間が2号、東京〜C間が3号、東京〜D間が4号となっているときに、4号の表記は「東京〜C間は3号」と表すのが一番効率がよいのです。でもって3号では「東京〜B間は2号」となっているわけです。「ある区間がどの番号に属しているかを調べる」場合には不便ですけれども。
さて、この内務省達の表では、たいていの路線はそのように表記されています。ところが、4号はそうなっていません。なぜかはわかりませんが、おそらく基準に厳密に従わなかったミスでしょう。
同じミスとして、7号があります。7号は「東京より神戸港に達する別路線」で、長野県追分までは5号と重複し、その後は望月経由で下諏訪へ抜けるという通好みの路線を通過したのち、中津川、鵜沼、関ケ原経由で草津に到達し、そして「2号京都 3号神戸」となっているのです。しかし、「直前番号の道路のみを記す」のであれば、「草津〜京都は2号」との表記は不要なはずです。
 
次に、この表では経路が表記されているのですが、それを見ると現在の国道と経由地が若干異なっています。たとえば国道2号は京都の三条大橋を通ります(現在は五条大橋)。ここで問題なのは次の点です。
国道3号は京都から、大阪市を経由せず北摂を経由(現在の国道171号、あるいは名神高速道路)しています*1。また国道12号は熊谷から伊勢崎経由で前橋ゆきですから、「高崎まで5号と重複」というルートは取っていません。そうなると、国道にしたい区間を指定してそれをつないで路線とするという現在の国道にありがちな指定方法ではなく、起点と終点を路線ごとにすべて定めてその最短距離を国道に指定するという方法を取っているわけです。その例外が二つ目の凡例だ、というわけです。逆にいえば、わざわざ二つ目の凡例のような指示を出すということは、原則は「起点と終点を定めてその最短距離を国道に指定するという方法」なのでしょう。
この点は、最近の指定方法とは異なるものであり、また、現在の港湾国道(130号や174号など)のような「盲腸国道」とも異なるものです。
 
あと、例外的に東京を通らない「各府各鎮台を拘連するもの」が消滅しています。これについては、東京から全国の主要都市を連絡した時点で「各府各鎮台を拘連するもの」の大半が国道に指定されたので、地方間の連絡線を特に指定する必要がなかったのでしょう。それでも大阪〜広島間などは国道ではないですけれども。

*1:国交省サイトでは、3号は『大阪までは2号』としています。しかし官報の内務省告示では、2号との重複区間は京都までであり、おそらくこちらのほうが正しいと思います。