わかりやすい授業を学生が求めてよいのは、高校までなんだよ。

小学校時代の思い出のひとつ。チリトマトヌードルが発売。このウマさに衝撃を受けた。これは今も好きである。最近ではビッグサイズもある。しかしこれが周囲の評判はあまりよくない。
小学生のころ、家の近くにカップラーメン・うどんの自動販売機があって、たまに買って食べていた。ボタンを押すとでてくる湯がぬるいと、麺がかたくなる。かたい麺も、のびてしまった感じも、けっこう好きなのだが、しかし子どもだっただけに金もなく、またそんなものを食べてしまったら夕食が食べられなくなるので親に怒られる。そうこうしているうちに引越しをしてしまい、そこでカップラーメンを食べることもなくなった。というわけで私にとって「自動販売機のカップラーメン」は、幻の味となった。
その次のカップラーメンブームは、大学にあった自動販売機である。私は大学ではしょっちゅう宿泊していたので、そこのシーフードヌードルはたらふく食べた。
あと、夏限定の辛いラ王。あれもウマかった。生めんのにおいがプーンってするし。しかしチリトマトといい辛いラ王といい、私が好きなものはあまり売れていない。
 
大学で宿泊の話。コピーカウンターを使わずにコピーする方法があって(しかしカウンターの数字で料金を支払うわけではないので、財産犯には該当しないだろう)、それを使ってこっそり部屋の雑誌論文とかを夜中に思い切りコピーした。今考えてもたいしたものだと思うのは、そのコピーをキッチリ読んでいたということ。自分の専攻分野について、自分が読んでいない文献があるというのが絶対に耐えられなかった。貴重な本を探してしらみつぶしに歩いたりした。そのせいで何度か駐禁も食らってる。幸い、私の専攻分野はそれほど歴史が深いものではなかったので、古い資料をさがしにいくという手間はなかった。
まあそういうわけで、ウダウダ考えるのは好きであったが、しかしアウトプットはあまり得意ではなかった。ゼミの発表会もそれほど評価が高くなかったし。だから偉そうなことは言えないのですよ。だから、ロースクール生の答案があまり良くなくても、偉そうなことはいえない。
 
ウダウダ考えるのと同じく、専攻分野について議論するのも好きだったのだが、まわりにそんな環境もなかった。某帝国大学で勉強しようと思って、まずそこの学生でもないのに通学定期を買えるように申請し(今考えてもムチャクチャなんだが、なぜかそれは通った。制度をいろいろ使ったのですよ。)、でもって授業にもぐってその後には先生の研究室に行って質問(というか議論)した。若気の至りであるが。
しかし先生は自分の説を明らかにしつつ私の質問に明確に答えてくださり、新しい学説の紹介をしてくださった。その説明の一貫性には圧倒された。そして、モグリに対してここまでのレベルで説明されることも、うれしかった。
その教授は、学部生相手の授業でもかなりハイレベル(教科書を読んでいるのがほぼ前提)なので、出席者も少なく、ついていけてそうな学生も少なかった。しかし普段からウダウダ考えて疑問を持っている私にとっては、とても楽しい時間であった。
そんなわけで、私も結局「わかりやすい授業を学生が求めてよいのは、高校までなんだよ」という意見には賛成なのである。