2009年のアイスティー

夏が近づいてきました。そうなるとおいしくなるのは、やっぱりアイスティーでしょうか。しかし市販されているものや喫茶店などで出されるものは、薄すぎて飲めません。コーヒーと比べると、やっぱり紅茶の肩身は狭いです。そんなわけで自分で作ることになるのですが、毎年「濁ってしまう」「濃いというより渋くなってしまう」など、失敗を繰り返してしまいます。まあ今年もがんばりますよ。
 
さて、部屋とオーディオの関係については、2つの方向からのとらえ方があります。一つは、生活場所(いわゆるリビングルーム)があって、そこにいい音楽を流したい、という方向。もう一つは、聴きたい音楽が先にあって、それを聴くためにどのような部屋を作ればいいか、というアプローチです。私はどちらかといえば前者です。仕事をするためのコックピットみたいな場所があって、そこにピアノ(たまにデスチャ)がずっと流れている、という状態です。
ところが、私が強く影響をうけたのが、後者のように全てを犠牲にして、機械の置き場所をミリ単位で調整するような方々なんですね。厳選された機械を極限まで調整して見事に息吹を感じさせる、という、なんだか雑誌の記事みたいな書き方になってしまうくらいです。しかしその一方で、私にはどことなく息苦しさを感じてしまうところがあります。たとえば私は、本がいくらあっても息苦しさを感じませんが、人によっては、息苦しさ(あるいは不愉快さ)を感じてしまうこともあるでしょう。そんな感じで私は、どうもギチギチに調整された部屋って、あまり好きにはなれないんですよ。スピーカーにちょっと触れたら怒鳴られそうですし。いやオレはそうじゃない、というんだったら触らせてくださいよ*1
まあそういうわけで、生活から遊離した音楽など単なる音波の連続だ、とまでは言いませんが、私としては、スイートスポットがごく狭い神経質な空間よりも、何気なくポンと置かれているアンプがよく見ると実はユニゾンリサーチだったりするほうがいまでは好きなんです。ユニゾンリサーチレベルのものでも、単体で置くと結構存在感あるんですよ。ラックに押し込めると魅力が褪せる、とでもいうのかな。

*1:触りませんが。