単独基本地名駅より早く開業した「国名*」駅(2)

駅名改称を採りあげた「消えた駅名」の鹿児島本線雑餉隈(ざっしょのくま)の項(259ページ)に、鉄道忌避伝説の説明があります。雑餉隈市街地と駅が離れているのは、日田街道住民が鉄道開通に反対したからだ、という話を鉄道忌避伝説として紹介したうえで、しかし明治20年代のことだから鉄道の効用もそれほど知られてはおらず、信憑性はわからないと結論づけています。
考えてみれば、反対運動の存在を示す史料もみつからず、なおかつ地理上の合理性も乏しいような、路線の大回りについては、その経路の決定の理由はよくわからないです。
また、理由がよくわからないといえば、きのう(id:ameni:20061225#1167052023)あげたdesktoptetsuさんの記事で、羽前赤倉駅と安芸阿賀駅が「区別する対象がないのに、国名を冠している」とされています。そのうち安芸阿賀(1935/11/24開業)のほうは、おそらく法勝寺鉄道の阿賀駅(1924/8/12開業、1967/5/15廃止)との重複回避でしょうが、もういっぽうの羽前赤倉のほうは、急行「赤倉」の名称のもととなった新潟県赤倉温泉との区別だとは思うのですが、こっちのほうは私も自信がありません。しかも羽前赤倉は赤倉温泉駅に改称(1999年)されていますから、ますますわからなくなったわけです。
 
ちなみに、「なお、大阪市交の田辺駅は、開業時にはまだ田辺が京田辺に改称していなかったのに、同じ田辺を名乗った。」との記述もありますが、よくみてみると、関西本線朝日駅のほうも、開業時にはまだ万字線が廃止されていなかったのに、同じ朝日を名乗っています。廃止が確定しているような先輩に敬意を表す必要もないだろう、ということでしょうか。世知辛い話です。
また、大阪市交通局は、出身が市電だからなのか、遠隔地の同名駅(中津や日本橋など)に配慮しないというだけでなく、接続していないにもかかわらず近隣の同名駅にも配慮しません(岸里玉出(両者は当時南海本線に同名の駅があったのに、重複駅名をつけています)、平野、今里など)。なお、東三国、北花田などは地名です。まあ、名前が付けにくいというのもあるでしょうが、東京でも京橋なんかは遠隔地に配慮されていません(あるいは大阪の京橋よりも格上だと考えたのでしょうか)。その一方、大阪市交は他市へ出ると物腰が低くなって、八尾南とか門真南とか、謙虚な名前をつけています。ひょっとすると、「大阪市交なのになぜ他市に路線を敷くのか」という批判をかわすために、「他市といっても、南のほうにちょっと線路が延びた程度でございます」とでもアピールしたいのでしょうか。
大阪市交通局の田辺駅付近は、もともと同じルートをかつて阪堺電軌(南海平野線)が通っており、その田辺駅は紀勢本線紀伊田辺駅の開業よりも前です。電軌出身なので遠隔駅に配慮しなかったのでしょう。中野駅なんかも、とくに国名を冠したりはしていませんでした。
ところで、谷町線といえば、摂津と河内の境界付近を走っていますから、もし国名をつけるとなるとちょっと面倒です。特に喜連瓜破駅は、喜連が摂津国(東成郡喜連村)、瓜破が河内国中河内郡瓜破村)ですから、国名を冠するとするとどうなるのでしょう。