大崎支線

1.大崎支線と山手西南線

湘南新宿ラインは、山手線新宿方面から大崎・西大井を経由して横浜方面へ向かいます。このとき、大崎〜西大井間は「大崎支線」を通過するのですが、この区間はキロ設定されていません。これにより運賃計算上ややこしい話になっています。
「大崎支線」は東海道線横浜方面と山手線を短絡するものですが、かつてこれと同じ役割を担っていた路線があります。これがいわゆる「山手西南線」です。この区間は、線路名称に記載されていました。
 
JRの路線名・区間を正式に決定するもの(の一つ)として、線路名称公告があります。これは国鉄時代の告示をそのまま受け継いでいるもので、そのルーツは明治42年告示の「国有鉄道線路名称」(明治42年10月12日鉄道院告示第54号)です*1。この間、線路名称公告は、一部改正を何度も繰り返しながら効力を持ちつづけてきました。
さて、制定当時の告示を見てみますと、山手線は、東北線の部にあります。


名称
 区間
東北線 東北本線(上野青森間及貨物支線)
 山手線(赤羽品川間池袋田端間大崎大井間)
 【以下、常磐線等省略】

山手線はもともと東北線東海道線の連絡線として日本鉄道が走らせた路線ですから、東北線の部にあったのも当然なのですが、現在では山手線は東海道線の部にあります。
赤羽〜池袋間が赤羽線となって正式に山手線から分離された際に、東海道線の支線という扱いとなりました。

日本国有鉄道公示第117号(昭和47年7月1日公布/7月15日施行)
東海道線の部東海道本線の項の次に次のように加える。
 山手線【ルビ「やまのてせん」】 品川・新宿・田端間
 赤羽線【ルビ「あかばねせん」】 池袋・赤羽間
東北線の部中山手線の項を削る。

この頃、大井町駅付近に山手線の電車車庫ができましたし、拠点駅の大崎駅も東海道線に近いですから、東海道線の支線扱いとなるのは理解できるのですが、赤羽線も同時に東海道線の部となりました。これにより現在でも埼京線が、並行する東北本線ではなく、東海道本線の支線になっています。

2.山手西南線の扱い

でもって、ここで問題になるのは、「大崎大井間」の扱いです。この点、この区間を貨物線であるとする説明があります。

ウィキペディア・山手線(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%89%8B%E7%B7%9A

1909年10月12日 国有鉄道線路名称制定。山手線(やまのてせん)[東北線の部]赤羽〜品川間、池袋〜田端間、大崎〜大井間(貨物線)。

確かに、当時この区間に定期旅客列車が設定されていた形跡はないのですが、しかし貨物線扱いでもないようなのです*2。その理由は、国有鉄道線路名称では貨物線は「貨物線」と明記しているはずであるという点、そして明治40年の「帝国鉄道庁所管線路哩程及乗客賃金」(10月16日逓信省告示第640号)にこの区間が掲載されていることです。貨物線扱いされている路線はこの告示には掲載されていない一方で、この区間は「大森、大崎間」として掲載されて、マイル程が設定されています。
 

大森、大崎間
 大森 〇・〇
 大井 一・四
 大崎 〇・九

大森駅からの記載となっています。当時はまだ大井町駅は開業してなく、同告示の東海道線の部分では、品川駅の次は大森駅になっていました。ですから、大井駅(大井連絡所)は東海道線の駅ではなくこの区間の駅として扱われていました。なお、現在の大井町駅大正3年開業で、この大井連絡所とは場所が少々異なります。
 
山手西南線は、品川操車場の整備とともに大正5年4月15日に廃止されました。これによって、大崎〜大井間は線路名称より削除されました。

鉄道院告示第54号(大正5年3月30日公布)
明治四十二年十月鉄道院告示第五十四号国有鉄道線路名称中山手線ノ部「(赤羽品川間池袋田端間及大崎大井間)」ヲ「(赤羽品川間及池袋田端間)」ニ改メ四月十六日ヨリ之ヲ施行ス

いずれにせよ、理由はよくわかりませんが、この区間は山手線の一部として旅客運賃設定がされていたようです。

3.大崎支線

大崎支線は山手貨物線大崎駅から品鶴線横須賀線)蛇窪信号所を連絡する路線です。完成当時には、東海道本線の支線として扱われていました。昭和9年鉄道省年報(鉄道省昭和10年12月24日)には、以下のように記載されています。

種別 線名 区間 粁程 開業年月日
東京鉄道局 東海道本線 蛇窪 大崎間 二・〇一八 九年十二月一日

この区間は、先述の山手西南線と異なり、線路名称に記載されていません。当時は、線路増とみなせる貨物線は線路名称に記載しないという基準があったようで、これにより品鶴線すらも線路名称には記載されていませんでした。品鶴線は、告示(昭和4年8月16日鉄道省告示第161号)によりマイル程は設定されていましたが、線路名称には、昭和55年に横須賀線旅客列車が走行するようになってはじめて、東海道本線の一部として記載されています。
 
いっぽう、大崎支線は、昭和40年に廃止されて大崎駅構内扱いとなった、とされています。昭和40年といえば、山手線電車10両編成運転を実施するために大崎駅などで設備改良工事がされていた頃です。この工事の関係で、構内配線扱いが変更されたのでしょうか。この点はひきつづき調べてみます。

*1:この間、昭和24年6月1日日本国有鉄道公示第1号(日本国有鉄道の発足に伴い、従来の鉄道省告示等を昭和24年日本国有鉄道公示と改称する公示)により、「日本国有鉄道線路名称(日本国有鉄道公示第17号)」と名称変更

*2:路線廃止の時点での告示では、「貨物運輸営業ヲ廃止ス」とされています。