受験英語の書き換え問題

選挙も近いようでして、駅前では街宣カーが叫んでいました。ところがその内容が、郵政とか年金とかじゃなくて、いきなり「ホリエモンは、腹を切って死ね。」でした。
うーん、他の選挙区の、しかも無所属候補を批判してどうするのでしょうか? 又吉候補の主張は、自分が出馬するのに相手候補が邪魔することは許せない、という内容のものだったはずです。
 
さて、ホリエモソといえば、彼が監修っぽいことをしている大学受験用英単語帳がけっこう話題になっているのですが、さらにその熟語版が出ているので、本屋で手にとって読んでみました。
なんというか、見開きの左ページを左右に分けて左側には熟語、右側にはその訳を並べて、そして右ページにはその熟語を使った例文があるっていう、すっごくオーソドックスなレイアウトでした。熟語の選定とか配列とかにも工夫があまりありません。と思ったら、例文の文章が「ライブドアは多数に支持されている」みたいな感じなのです。そこにオリジナリティがあったのか、とちょっとだけ納得しました。
さらには、巻末の書籍案内のところでは、「女子大生が彼氏を作る日記」みたいなのがあったりして、誰を相手に商売しているのかよくわかりませんでした。ホリエモソは「女子大生が彼氏を作る日記」を受験生に売りつけるつもりなのでしょうか。
 
受験英語といえば、以前から「書き換え問題」への反発がありましたが、最近この反発がかなり強くなってきました。というのも、書き換えるとニュアンスがかわる、そもそも別々の文章というのは「何かが違うから」別の文章になっているのであって、淘汰されて生き残った文章というのは他のものに書き換えられないからこそ存在しているのだ、というのです。
まあ確かにそれはそうで、態を変換した「ジョンは窓を壊した」と「窓はジョンによって壊された」という2文は明らかにニュアンスが違うわけで、これらの書き換え問題が「形式的な公式に当てはめて文章のニュアンスを崩してしまう」と批判されるのはある意味で仕方がないところです。さらには、いわゆる仮定法の書き換えが特に批判の多いところで、「もし私を手伝ってくれてたら、うまくいったのに」と「私を手伝ってくれなかったから、うまくいかなかった」の両者は明らかにニュアンスが異なるのに、この書き換え問題が出題されているわけです。
というわけで最近では、この点について言いわけめいた文をはしがきで載せることがあり、「これは受験用の問題集なので、実際に入試で出題されているという現実をふまえて・・・」とか「書き換えた両者で厳密な意味が異なるとか、ネイティブが現実にそのような表現をとらないとか、そういった点は大学に入ってから勉強してもらうとして・・・」という前置きがあったりします。つまり、受験用ということで割り切る、というわけです。
 
とはいうものの、最近の大学入試では、単純な書き換え問題というのはそんなに多くはありません。それに、「下の4つの選択肢のうち、下線部と最も意味が近いもの」のように、「他の選択肢と比べると意味は似ている」程度の類似性を見つけることは必要でしょう。態を変換すると確かにニュアンスは失われますが、「はたから見た光景は同じだ」という類似性は失われないわけですから。