1種なき2種

1)
JR移行の時に、国鉄の営業路線はJR旅客6社とJR貨物に引き継がれました。しかし、貨物線がJR貨物に引き継がれたかといえばそうではなく、むしろ大半が旅客会社に引き継がれました。設備の維持管理を考えてのことのようです。特に、「貨物線の両端が旅客線と接続している場合」には、多くの場合にJR旅客会社が引き継ぐこととなりました。
 
2)
そのころ、鉄道事業法が制定されて、鉄道事業の方法が新しく決まりました。これが、第1種・2種・3種の鉄道事業です。第1種は自社の線路で列車を走らせる事業、第2種は他社の線路を使って列車を走らせる事業です。ちなみに第3種は、他社(第2種事業者)に自社線路を使わせる事業です。ここで、JR貨物は自社線路をあまり持っていませんから、多くの場合に第2種鉄道事業となります。
このようにして決められた鉄道事業の路線は、(現在の仕組みでは)国土交通省に提出して許可を受けることとなります。
たとえば東海道本線をみてみると、wikipediaには、こうあります。

 東海旅客鉄道JR東海第一種鉄道事業者 熱海駅 - 米原駅間 341.3km
 日本貨物鉄道JR貨物第二種鉄道事業区間 熱海駅 - 米原駅間 341.3km

つまり、熱海〜米原間は、JR東海が第1種(線路保有)であり、JR貨物が第2種(他社線路使用)です。
このように、JR貨物が貨物列車を走らせる区間の多くは、旅客会社が保有している第1種区間で、線路を借りて列車を走らせているのです。
 
3)
ところが、なかには、JR貨物の第2種事業路線なのに、旅客会社が第1種事業路線になっていない区間があるのです。これが、私が時々言っている「1種なき2種」であり、駒鉄太郎さんがいう「旅客会社が営業キロを持たないJR貨物2種区間」です。
武蔵野線の新小平〜国立間を例にとってみます。中央本線武蔵野線は、西国分寺駅で立体交差しているのですが、この西国分寺駅を経由しない形で連絡線が走っています。この連絡線(新小平〜国立)は、JR貨物の第2種事業区間(5.0km)ですが、JR東日本はこれを独立した路線とみていません。
JR東日本の会社要覧では

武蔵野線 (鶴見)〜(西船橋)〔東浦和経由〕100.6km 注3)

とあり、その注3で

新小平〜国立、南流山北小金南流山〜馬橋を含む。

と書いてあります。つまりJR東は、この連絡線区間を、自社の路線ではあるが独立した区間とはしていない(構内短絡線と同じ扱い)としています。
そうすると、運賃計算の対象となるキロ計算に、相違が出ます。中央本線八王子方面からこの連絡線を経由して武蔵野線南浦和方面に向かう列車の場合、JR貨物の列車はこの連絡線区間を通る扱いとなりますが、JR東日本の列車は西国分寺駅経由となります。その結果、少し距離が長く計算されるわけです。
 
4)
ここで、経緯をみてみます。武蔵野線の本線と連絡線は、昭和48年に、同時に開通しました。当時の国鉄公示には、連絡線の区間およびキロが掲載されています。しかし、線路名称公告(当時の国鉄が公示していた線名・区間)では、「武蔵野線 府中本町・新松戸間及び貨物支線」とあり、連絡線は独立区間の扱いを受けていませんでした。
さてその後、国鉄再建法施行令という政令が公布されます。国鉄の路線のうち「特定地方交通線」を廃止させることとなったのですが、その前提として国鉄の路線名と区間を挙げた一覧表を作ったのです。従来の「線路名称公告」では独立区間扱いされていない区間も、ここでは挙げられています。この一覧表では、武蔵野線は以下のように書かれていました。

220 武蔵野線 鶴見から東浦和を経由して西船橋まで並びに新小平から分岐して国立まで、新秋津から分岐して分界点まで、西浦和から分岐して与野まで並びに南流山から分岐してそれぞれ北小金及び馬橋まで

「新小平から分岐して国立まで」というのが、今回の連絡線の区間です。こうして国鉄再建法施行令では、連絡線は独立線として挙げられ、JR貨物もこれを基に事業基本計画をつくりました。ですから、この連絡線はJR貨物の第2種事業区間です。
ところがJR東日本のほうでは、従来の「線路名称公告」をベースとした路線名の表をつくったため、この連絡線は第1種事業区間となりませんでした。考え方としては、実際に車両が走行する区間に近い路線表をJR貨物は採用した(そうしないと、JR移行と同時に値上げということになり、批判を受ける)のに対して、旅客会社のほうでは、貨物しか走らないような短い連絡線は駅構内短絡線と同じようにみなすとしたのでしょう。
 
次回(id:ameni:20140717)に続きます。